幼稚園時代は園から帰って来ると眠たい、疲れた、お腹空いたやらとにかく色々と大変でした。
年中さんくらいまでは昼寝をなるべくさせていました。
そんな感じで下の子もいたので1日があっと言う間で何とかこなすだけで大忙しでした。
そんな中
周りの子は年中さんくらにもなると
習い事を始める子が多く、幼稚園以外の事にもどんどとチャレンジしていく様子があちらこちらで見られました。
幼稚園から帰ってきて5時ぐらいからスイミングに行っている子がいて、そんな時間からよくできるな〜子供は疲れて眠たくなって愚図ったりしないのだろうか?!
と、とにかく不思議でたまりませんでした。
うちの子じゃ考えられない…
どうして他の子供たちはそれが可能なのだろう…といつも思い、他の子供たちとのあまりの差に落ち込むばかりでした…
そして今1年生も終わろうとする中、学校生活にも大分慣れ体力もついてきました。
ここで何か1つ自分を表現できるものをと思い娘からの希望であったピアノを習い始める事にしました。
人間って生きて行く中で誰しもが
もうだめだ
何もかも終わりだと
限界まで落ち込んだり、悲観的になって
それを衝動的に他人に自分の思いを凶器のように向けようとしたり
そういう苦しい時って長い人生の中で一度や二度はくると思うんですよね。
その時にいったい何が人を救うのか
それはどうしようもないこの気持ちを何かで表現する事だと思うのです。
表現方法は何でもいいんです
ダンス、歌、ピアノ、スポーツ、絵を描いたり、何かを作る、
つまり自分を表現できる術を持っているか持っていないかだと思うのです
自分を表現する術を持っている人は強い
私は今までの人生を振り返ってみると、
苦しい時には絵を描いていたような気がします。そして絵を描いていると心が安らぐのです。
皆さんは二十世紀最後の巨匠と称えられているフランスの画家バルテュスを、ご存知でしょうか。
ニューヨークで、メトロポリタン美術館が保有するバルテュスの《夢見るテレーズ》の展示を巡る問題が話題になりました。バルテュス氏による少女の下着が見える構図の絵画が芸術か、わいせつかを巡り論議を呼びいかがわしいとして撤去を求める署名活動が進んでいるのです。
この作品は、バルテュスの近所に住んでいたテレーズという少女をモデルにしていて、この絵が描かれた当時、彼女は12歳〜13歳でした。テレーズはバルテュスのお気に入りのモデルでした。
そしてバルテュスは45歳でパリを離れてから、田舎にぽつんと立つフランス東部にあるシャシーの城のアトリエで、1945年から8年間、義理の姪であるフレデリック15歳と2人だけで暮らし、その姪をモデルにして「少女」をテーマにした作品を生み出した。
その後1人イタリアに移り住んだバルテュスは来日した際に出会った20歳だった「出田節子」に一目ぼれして生涯を共にすることになるわけです。
そして彼と8年間をシャシーの城館で過ごしたフレデリック・ティゾンはバルテュスにその城館を譲られて、現在もそこで暮らしているらしく、おそらくバルテュスとの子供だと思われる人と一緒に暮らしているそうです。
きっと彼女はバルテュスと過ごしたこのお城を愛しているのでしょう。
彼が92年の人生を通して描き続けた作品は、称賛、そして同等の誤解や非難を浴びてきました。
私が思うところに彼は小児性愛者であると思います。ですが彼は絵を描くという事で自分の中にある物を表現したのだと思います。
もし彼が絵を描くという表現方法を持たなければ彼はどうなっていたのでしょう。
私にも娘がいますだから私はこのバルテュスとフレデリックの話をとても恐ろしく不快に思います。
ですがその一方で、何故か美しくも感じてしまうのです…
これはここにしか書けない事ですね
誰にもこの話をした事はありません
話ても理解されないでしょう
それどころかきっと不気味な人間だと思われるに違いありません…
もしかしたらこれがHSPの深い感情なのかもしれません…
こういった感情を抱く自分自身に
人と違う事を感じとってしまう自分を怖くなる時があります。
そして娘に対してはピアノが上手になって欲しいなどというプレッシャーを与えるつもりは一切ありません。
ただ思うのはピアノを好きになってくれればいいなとそう思うだけです(o^^o)
それで人生がより豊かになれば