産まれてすぐから娘があまりに大変過ぎた為、私は精神が崩壊してしまいました。
大きくなるに連れてその大変さは増し、手に負えない状態でした。
色々調べた結果、私はずっと娘の事を発達障害ADHDなんじゃないかと思っていました。
しかし旦那や両親に話をしても、誰1人として理解を得られませんでした。
考え過ぎ、心配し過ぎ、子供なんてそんなもの
3歳児健診などでも何度か引っかかりはしたのですが、私の口から発達障害という言葉をどうしても出す事が出来ずにいました。
私がそう言えば、
はい、発達障害ですね。
と決められてしまうようで恐かった
ならば、幼稚園へ通い出して、先生に
お母さんちょっとと言われたらその時に、全てを受け入れようと思いました。
しかし、
幼稚園へ通い出しても、
先生から何か言われる事はなく、寧ろ凄くしっかりしていますね(o^^o)他の子よりもちゃんとお話も聞けるし、言う事無しですよ!
皆んなを引っ張っていってくれています(o^^o)
といった感じでした…
一方、家へ帰ってくると大暴れ
疲れて眠いから始まり。
大暴れで寝て、夕方起きる頃にはもう最悪でした…電気が眩しい、テレビをつけないで!
と大暴れ、目が痛いと言い出し、急に顔を洗い出し、もう床も服もびちゃびちゃ…
暴れまわり家が壊れるんじゃないとかという毎日でした。
私も耐えきれず、怒鳴り散らした事もありました。
家の中からは子供の泣き喚き暴れる声…
児童相談所に通報されてもおかしくないようなそんな毎日だったと思います…
とても辛く苦しかった
幼稚園では凄く手のかからない子
家では大暴れ
人に相談してみても、普段があまりにしっかりしている為誰にも信じてもらえず、私が大袈裟なだけにしか聞こえず、人に相談するという事も出来ないままいました…
誰にも理解してもらえない
そんな日々が過ぎ、年長さんぐらいになった頃
今までもずっと娘と必死に向き合ってきたつもりでした。全身でぶつかってくる娘に、あの手この手を試し、暴れるのを許してはいけないと思い厳しくしたり、色んな方法で向き合ってきました。
しかし、これじゃダメだという事にやっと気がつきました。
と言いますか、最初から薄々気が付いてはいたのです。この子は甘えたいんだって事に…
しかし、今まで甘える事を上手に出来なかった娘は暴れるという方法で私にぶつかってきていた為、私もそれをどうしていいのか分からなくなっていました。
そして同じように娘も分からなくなっていたんですね。
こんなんじゃ苦しい、変わらなければと思い
ました。しかしこれを取り戻すには時間のかかる戦いだと
もう周りは気にしない
娘だけを見て、娘と、真剣に、
本当に私の全てをかけて娘を知ろう、向き合おうと思いました。
それから1年立ちました、今娘は1年生になりました。
ずっと娘と掛け違えてきたボタンが、最近やっと合ってきたのです。
ここまでに7年かかりました。
そしてそれと同時にHSCという言葉に出会いまた。
あ…これだって思いました、とても救われました、私と娘の7年間を全て教えてくれたよう気がしました。あなたは間違ってないよ。
今まで頑張ってきたねって言ってもらえたような気がしました。
この本を読んで
よし、このまま突き進もう!って思う事ができました
もっと早く知っていればどんなに楽だったか…
いや、でも過去は変えられないから未来をみよう、娘と一緒に。
そしてそれから娘の事を調べていくうちに、
私自身が子供の頃HSCだった事
そして現在HSP『ひといちばい敏感な人』
だという事に、気がついたのです。
私がいつも抱えていた、
人と違う事に対しての違和感
それを知るきっかけを娘がくれたんです
娘はやはり意味があって私の元に生まれてきてくれたんですね…
これは娘と向き合いながら、小さな頃の私を知る一歩なんだなと思います。
親子って不思議ですね。
ひといちばい敏感な子 子どもたちは、パレットに並んだ絵の具のように、さま [ エレーン・N.アーロン ]
[楽天] #Rakutenichiba
https://item.rakuten.co.jp/book/13145132/